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*ニンジャスレイヤー感想ブロゴだ*

【感想】灰都ロヅメイグの夜

5月13日、ニンジャスレイヤー翻訳チームの母体であるダイハードテイルズ出版局より、杉ライカさんの作品『灰都ロヅメイグの夜』が公開されました。
そもそもこのダイハードテイルズというのは(重篤ニンジャヘッズならばご存じのように)今から遡ること十数年前、2000年前後にネット上にWebサイトを構えていたライター集団というかオンライン小説サークルで、もともとは『ニンジャスレイヤー』自体もそこで翻訳公開されていた作品のひとつだったのでした。

最近、そのダイハードテイルズのサイトが新たに整えられ、これから電子・物理の両媒体を通して精力的に作品を発表していく予定であることが告知されました。作品は既にTwitter上で連載されてきた『ペイルホース死す!』『スチームパワード』『ブーブス・バンド』シリーズ(!)ほか、新旧タイトルに及ぶようです。

『灰都ロヅメイグの夜』は、有料コンテンツとしてはその第1弾にあたる作品。全9章からなる長編小説作品で、1章および2章が無料公開され、3章以降を含む全作はnote上で500円で購入できます(いわゆる投げ銭制によりそれ以上のドネートも可能)。

購入にはnoteというWebサービスのアカウントを作成する必要があり、支払いはクレジットカードのほか携帯電話会社を通じた代行サービスに対応しているようです(私はカードで購入しました)。購入後は、Webサイトでもアプリでも自分のアカウントにログインしていればいつでも読めますよ。
なお、当ブログは基本的には「ニンジャスレイヤー感想ブログ」ですが、今後はダイハードテイルズ作品の感想などについても書いていくつもりです。以下、極力ネタバレなしのざっくりとした感想を。

緻密に組み上げられた硬派なファンタジー作品

ものすごく面白かったです。空き時間に少しずつ読み進めようと思っていましたが、明け方までかかって一気に読み切ってしまいました。一章ごとに視点や場面がまったく違って、絶妙に続きが気になるんですよ!

試し読みで公開されている「1:霧と酩酊」は、重厚な文体と緻密な情景描写、なにより読者を「君」として語りかける、懐かしのゲームブック調の雰囲気に引き込まれます。固有名詞や難解な言い回しが多く、読みにくそうだなと思われるかもしれません。ただ、この導入も全体的な構成からするととてもよくできた「仕掛け」であって、地の文が「君」と呼びかける人物が誰であるかも、後の章でほどなく明かされます。そして、その人物の辿る運命も。

舞台は"灰都"ロヅメイグ。雑然とした建物群が重層的に折り重なる、濃い霧に満ちた巨大都市。ニンジャヘッズならばすぐにキョートのアンダーガイオンを連想するところですが、吹き抜け構造になっていたり、下から順に1層、2層と数えていくあたりが違うようです。
主人公は隻腕の剣士グリンザールと、隻眼の吟遊詩人ゼウド。そのゼウドがなぜかいきなり瀕死のグリンザールに肩を貸しながら、這う這うの体でロヅメイグに帰還するところから物語は始まります。

3章以降では、彼らを狙う複数の「敵」の存在、そして互いに相棒にすら隠しているゼウドとグリンザールのそれぞれの壮絶な過去が順を追って明かされ、最後にそれらの伏線がある一夜の事件に集結します。この構成がまず見事でした。そう、『灰都ロヅメイグの夜』は書きかけでも未完でも何でもなく、世界観として枝葉の如く広がる膨大なバックグラウンドを匂わせながらも、作品としてきれいに完結しているんですね。かなり計画的に章立てがなされ、そのあとに細かい部分に肉付けされていったであろうことが窺えます。

また、この作品そのものはニンジャスレイヤーとは全く関係がなく、比較すること自体がナンセンスであることは承知のうえで、やはりどうしても類似する点を見出したくなってしまいます。というのも、後半の「6:竜の舞う夕暮れ」で明かされるグリンザールの過去、冒険の発端たる少年時代のある事件についての壮絶な描写が、フジキドが戦う理由についてのそれに似ているんですよ。悲しみや絶望の極地から立ち上る、無垢なる暴力衝動、湧き上がるエネルギー、そうしたもの…つまり「狂気」の表現。ここには圧倒されました。他にも、この作品にはいくつもの極限状態と、それに伴う狂気が登場します。

クライマックスの戦闘シーンにもハラハラさせられました。一挙手一投足が映像的で、しかも次の瞬間に「そう来たか!」という驚きがある。全体的に暴力表現が多く、今のご時世では差別表現と捉えられかねない表現も出てくるのですが、当然ながらなにかに配慮して萎縮する必要はまったくないと思います。

私は本作の源泉たる欧米のファンタジー小説には全然造詣がなく、せいぜいそこからTRPGを経由して派生したロードス島、ルナル、クリスタニアくらいしか読んだことがないのですが、そのころにハマっていたわくわくする感じを久しぶりに思い出しました。夢中になってしまった。

それにしても、この作品をイラスト・マンガ化なり映像化するのは只事ではないなあと思います。読んでいてわかってくるのですが、文章表現という形式、この文体でしか表現できないリズムのようなものが確かにあって、それが世界観に密接に繋がっているのです。これ、ほんとに歴史のなかに埋もれたままになっていなくて良かったですね。興味のある方は、この機会にぜひ読んでみてください。

「ギターサンダーボルト 殺」へ行ってきました

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26日日曜、渋谷wwwで開催されたニンジャスレイヤーライブイベント「ギターサンダーボルト」の2日目「殺」へ遊びに行ってきたので、その感想です。にしてもイベント名が殺ってヤバいですよね。バックステージパスにマジック手書きで一文字「殺」って書かれた写真をTwitterで見たけど、だいぶパワがありました。

イベントの概要は例によって翻訳チームのブログの記事で。要は、去年の「ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン」でエンディング楽曲を担当したバンドによる合同ライブです。

ninjaheads.hatenablog.jp

この日は13時開場で、整理番号を踏まえて少し遅めの時間にスペイン坂へ向かうと、すでにお客さんの行列ができていました。中へ入って、まずは物販で先行販売の物理書籍『ケオスの狂騒曲』を購入。書店での発売より一週間近く先行しているということもあって、中身が気になりつつも、とりあえず上着と共にロッカーへ突っ込んでフロア入り。

ライブ自体はわりと出たり入ったり、お酒を飲みつつニンジャヘッズとお喋りしたりしたかったこともあって全部のステージは見ていないので、順を追ってバンドについての感想を書くなどはしませんけれども、どのアーティストもカッコ良かったね…。自分はクラブミュージックとクラシックのファンなので、普段あまりロックのライブには行かないほうですが、あらゆる先入観を抜きにしてものすごく楽しかったです。

以前、タワレコのインストアライブでThe Pinballsが素晴らしくて、「劇場支配人のテーマ」は楽しみにしていました。あの曲はみんなでアイエエエ!するよね。

特に今回は、事前にテレビで(悪いイメージで)話題になってしまった東大生の子の件があったわけですが、古川さんがMCでその彼に向かってメッセージを送ったときは胸が熱くなったよ。いわく、他人からバカにされても好きなものを好きだと表現すること、自分もあなたと同じタイプなのでそのことを尊敬します(要旨)だって。急に言い出したので最初はなんのことかと思ったけど、すごく真剣なトーンで言葉を選びながら「尊敬する」と言っていたのがとても印象に残った。

音楽的に一番ツボだったのはSawagi!インストのバンドで、ミニマルなリフがどんどん展開してグルーヴを形作っていくさまはスタイルこそロックでも、本質的な魅力はダンスミュージックそのものでした。あと何時間でも聴いていたかったなあ。ぜひどこかでまたライブを見たいと思えるバンドでした。

わかるよイビヤモちゃん。

wwwは以前別のイベントで来ていて2度目でしたが、ラウンジなど一息つけるスペースも十分にあって、7時間の長丁場を感じさせない、始まってしまえばあっという間の一日でした。わりと飲みながらあちこちウロウロしていて、お会いしたことのある顔見知りのニンジャヘッズの方々ともたくさんお話しできました。おそらくはニンジャスレイヤーをご存じないバンドのファンの方々も相当数いたようなので、ニンジャ万博のように隣の人といきなりニンジャの話になったりとかはなかったけれど、すごくいい雰囲気だった。

しかしBorisのライブはカルチャーショックでした…。経験したことのないレベルの轟音、耳栓をしていてすらもクラッと来そうな振動、スモークとライティング込みの演出手法、それより何より、あのスタイルの音楽・ああいうアートフォームでしか表現できない類の美学!

ボンド&モーゼズがアニメの件よりも、ずっと前から名指しでフェイバリットとして挙げているバンドとはこういうものかと思いました。つまり、表現としてメーターを振り切っているというか、常識的に考えられるリミットを超えているんですね。彼らがニンジャスレイヤーという作品を通して小説媒体=文章表現でやりたいことは、初めからこれくらいの熱量の表現だったのだろうなというのが、体を通して理解できました。

そういえば、事前のアナウンスや前日のライブ「忍」に関連して、ライブで使う耳栓のことがTLで話題になっていました。これまであまりライブハウスやクラブに行く機会がなかった方には、わざわざ音を聞きに行くのに耳栓…というのは、違和感があって当然のことだと思います。

ライブ用の耳栓というのは、いわゆる安眠や集中を目的として音をシャットアウトする用途の耳栓とは実はまったく違うもので、音のバランスを(あまり)変えずに聴感上の音量を全体的に下げることができるアイテムです。なので、正確には耳栓というとちょっと語弊があって、会話音や生活音は普通にスルーします。
これはなんというか、海に行くときの日焼け止めだとか、スキーに行くときの防寒対策と同じようなもので、音楽を積極的に楽しむための自衛手段なのですね。

私はEtymotic ResearchのER20という製品を使っていて、幸いなことに今回もこのおかげでライブ後の耳鳴りとは無縁でした。音楽好きな人なんかは、ライブ行って帰ってきた後のキーンというのが心地いいんだと主張してしまいがちですが(その気持ちはよくわかる)、普通に大ケガと同じなので、傷めないに越したことはないわけです。

いやあ、それにしても2014年11月22日の「ギターサンダーボルト #0」から1年4ヶ月、このスケールの2DAYSイベントに至ったというのは、すごいことだと思います。以下は、その時のライブレポート。

ニンジャサウンド・ギターサンダーボルト | 鏡像フーガ:創作同人漫画サークル

ボンド&モーゼズも翻訳チームも、自分の好きなバンドや音楽を、自分の作品(小説!)を通して自分のファンと共有できるというのは、さぞかし幸せで感慨深いことだろうなあとぼんやりと想像しています。作品自体が、音楽という要素と深く結び付いているだけに。
つくづく面白いなと思うのが、作中に登場させた反抗と戦いのシンボル「キツネ・サイン」。

作中ではこれが挑発や敵意の表れであるとともに、運命に抗う強い意志や勇気の象徴でもあり、それを称える表現でもあるわけですが、ニンジャヘッズが高々とこれを掲げていても、ニンジャスレイヤーを知らないバンドやバンドのファンは普通にメロイックサインだと思うし、そのことですごく盛り上がるのです。もしボンモーがこういったライブイベントの実現、こういうフロアの光景まで予見して採り入れたのだとすれば、すごいことだなあと思います。だって現実とフィクションのこんなリンクのしかた、めちゃくちゃ感動的じゃないですか。

【感想】デイドリーム・ネイション

断続的に1ヶ月以上続いたエピソードが完結しました。最初の方の記憶が朧になっていたので、ひととおり読み返したうえでの感想を書いておきます。例によってネタバレありなので、未読の方は先にぜひ本編をどうぞ。

 「デイドリーム・ネイション」 - ニンジャスレイヤー Wiki*

キョートから訪れた「部外者」であるクロマ=サンというモータルの視点を通して、10月10日以後のネオサイタマを取り巻く状況がつぶさに描写されました。一見平時を取り繕いながらも、コトダマ空間認識者に対する迫害、ローニン・リーグというレジスタンスの存在、そしてニンジャスレイヤーとアガメムノンの今。重要な情報がいくつもありました。

前半で印象的だったのは、おそらく現代日本へのいろいろな風刺が込められたアケガ収容所内の映画鑑賞室の様子、そしてアイザワのタフさと「心の王国」。クロマがあのキョートでのランペイジの暴虐の直接的な被害者であり、ニンジャスレイヤーの戦いぶりを目撃したことがまさに彼にとっての「心の王国」となり、苦難を耐え抜く力とするというのは、これはまさしくニンジャスレイヤーのミーミーの継承ですよね。「怒」ボタン!そういえば、連載中にちょうどTantou氏によるランペイジ紹介記事がブログに掲載されたのも、狙いすましたタイミングだなあと思いました。

デプレッサーの前に現れるニンジャスレイヤーの登場シーン。クロマの記憶の中の幻影と重ねる演出方法は、ここ最近のエントリーシーンのなかでも屈指のカッコよさでした(アルペンスキーのことは一旦忘れよう)。デプレッサーは本編中でも描写されているとおり、そのジツの効果からアケガ・ターミナルの監視にはうってつけの人材だったはずなのですが、このタイミングでニンジャスレイヤーが介入してくることは全くの想定外だったようで…。現在のアガメムノンが持つ対ニンジャスレイヤー能力(雷撃)の件は、広くアマクダリ内に共有されている節がありますね。

中盤のクライマックスは、何といってもストーンコールド戦。そう、「グラウンド・ゼロ、デス・ヴァレイ・オブ・センジン」のその後が描かれたのでした。彼らトクシュブタイはセンジン戦で大きな痛手を受け、そしてまたストーンコールド自身もカースシンガーによる何らかの重大な効果のある「ノロイ」を受けており、古参のヘヴィレインとともに2人きりで鎮圧ミッションにあたるわけですが、そこにデプレッサーを殺したニンジャスレイヤーが立ちはだかる。
ストーンコールドのカラテ強者ぶりは、目を見張るものがありました。スパルタカスを倒したという事前情報を知ったうえで、なお少しも怯まない様子はさすがでした…が、スパルタカス戦では封じていたナラクの力の開放の前には及ばなかった。一方で、ニンジャスレイヤーもこの時点で相当に切迫した状況にあり、勝ちを急いでいる様子が描かれています。

因縁深いニンジャスレイヤーを後にして、まんまと施設内部に突入したヘヴィレインの前に現れたのは、なんとレッドハッグ。「フェアウェル・マイ・シャドウ」での活躍以降は時系列上は初めての登場で、泥酔回の汚名返上(?)、セリフもカラテもかなりカッコイイところを見せてくれました。「いじらしいのさ。義侠心が疼くんだよ」って最高じゃないですか?姐さーん! f:id:epxstudio:20160304140136p:plain
義に篤く情にもろい三十路の女剣士のイラストです。

そして、戦うモータルのハッカーたち。物理肉体に致命傷を受けたアイザワをタイピングによって繋ぎ止めるタネコ。そして一度はログアウトしたものの、最後にアイザワへの思いを吐露したタネコは再びコトダマ空間へダイブする…ここは、タネコを救うためにヤバレカバレで単身アケガ収容所へ飛び込んだアイザワと鏡写しになっていて、因縁の直接の原因となった事件についての具体的な描写はされなかったものの、2人の間の強い心の繋がりを思わせます。

さて、コトダマ空間認識者への対策としてネットワーク的にスタンドアローン状況にあったアケガ収容所も、Y200工兵による物理接続によってアルゴスの手に落ちる。しかしこのことによってか、何らかの電子存在(ナンシー=サン?)に導かれたアイザワとタネコは、意外にも「ショック・トゥ・ザ・システム」以来行方不明だったエシオの元へと。これがどう出るかは今後のエピソードを待つしかありませんが、物理肉体を失いソウルワイヤード存在となった彼らと、似たような状況に追い込まれているはずのガンドー=サンがクロスオーバーするかどうかは、対アマクダリ戦の大勢に影響するかどうかも含めて大いに気になるところです。

明らかにされたアガメムノンの「雷撃」の正体。それはカスミガセキ一帯の電力を停止し、ニンジャスレイヤーただ一点を狙ってピンポイント連続攻撃を行うという力技でした。フジキドがスパルタカス戦後に何らかの痛い目に遭わされているくだりも示唆され、よほど警戒している様子が伺われる一方で、おそらくこの攻撃はネオサイタマ市内でのみ有効であることから、明らかに彼はこの地を離れずに反撃のタイミング(鷲の翼が開く時)を伺っている。エピソード冒頭の会話の応酬は、やはりフジキドとナンシーのブリーフィングなのかな。

フジキドらによるアマクダリ攻略作戦の全貌は依然として伏せられたまま。雷撃を受けたり、潜伏場所がアルゴス側に露見するリスクを冒してもなお地上に出てきて、アケガ収容者たち(=多数のコトダマ空間認識者)とローニン・リーグを手助けした意味はあったのでしょうか。仮にニンジャスレイヤーが現れなければ、収容者もローニンも全滅、ヨージンボーであるレッドハッグとフェイタルもおそらくトクシュブタイの介入により絶望的な戦いを強いられていたはず。ではそもそもローニンが決起しなければ…?いや、ネオサイタマのモータルは、牙を抜かれじわじわと自我を擦り減らされるだけの人々ばかりではなかったということでしょう。ここにニンジャスレイヤー第3部のメインテーマが読み取れるような気がします。

少なくともクロマは変わった。まったくの不運で、ハッカーですらないにも関わらず巻き込まれてしまったクロマ。実際アイザワと出会った当初の彼は、収容所を脱したらすぐにキョートへ帰ると明言していました。しかし彼はもはや傍観者ではなくなり、チカマツの志を受け継いで、ニンジャによる理不尽な支配へ抗うモータルの一人となった。彼らモータルの戦いが、ニンジャスレイヤーらの戦いとどうリンクしていくのか、今後のエピソードを楽しみにしたいと思います。

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Twitterにアップしたものとは口元の表情が違うバージョン。レッドハッグ=サンはボサボサ長髪とかレザージャケットのおかげであまり目立たないけど、本来の体の線の細さがウェスト回りに出るといいかなと思って描きました。

「サイバーテクノ」についての考察

ニンジャスレイヤー本編を読んでいて少し気になったことを掘り下げてみようシリーズ。

アンダーワールド・レフュージ」中盤のユンコのハッキングシーンで、次のような表現が出てきました。

この例を引き合いに出すまでもなく、本作では度々「サイバーテクノ」という音楽ジャンルについての描写がなされます。その数、書籍を除いたTwitter連載版だけでこれまでで30回近く(Ninja Slayer(@NJSLYR)/「サイバーテクノ」の検索結果 - Twilog)。音楽の描写が頻繁に出てくるニンジャスレイヤーにおいて、これは特に目立って多いというわけではありませんが、私はこの語そのものが前々から気になっていました。なぜなら…

「サイバーテクノ」というジャンルはない

私は90年代からレコードを買い続けてきたテクノファンで、アマチュアのテクノDJとしても15年以上活動してきたので、ロックバンドのことはよく分からなくても、テクノのことなら多少は分かる。そもそも、始めにニンジャスレイヤーに興味を持ったのも、テクノの描写がちょこちょこ出てくるから、というのが理由のひとつでした。

そのうえで断言してしまうのですが、現実には「サイバーテクノ」と呼ばれる確固たる音楽ジャンルは存在しないんですね。もちろん、音楽のジャンルなんて、なにがしかの権威存在が定義づけを行っているわけではないので、誰かがそう呼べば1曲でも2曲でも即座にそういうカテゴリーとして十分に成立しうるわけですが、ここではあくまで、一定規模で認知されている一般的なカテゴライズとしては…というような意味です。ボンモーの拠点のアメリカ国内ではメジャーである可能性も探ってはみましたが、どうもそのような感じもないんですよね。

はじめに強調しておきたいのは、ニンジャスレイヤーにおけるクラブミュージック、あるいはクラブの描写は基本的には正確なのです。例によってぶっ飛んだ和風SFサイバーパンク要素は交えつつも、細かいところではずばり本質を捉えていて、個人的にはボンド&モーゼズも翻訳チームも、クラブカルチャーについて深い理解とリスペクトがあるのだと感じています。最近共感したのは、例えば「ニンジャ・サルベイション」のこのパート。

「電子ひきつれ音めいた妙なマッポー・ミニマル・テクノ」かかるマニアックな選曲の店の、人もまばらなフロアの描写として、この表現はなかなか来るものがあります。

また、テクノのジャンルに関して言うと、本編で登場したものではミニマルテクノハードテクノは実際にあります。

そのうえで、「サイバーテクノ」が実在しないのだとしたら、それはどういう音楽を指しているのか、何を表現しようとしているのかが気になるのですね。

本編中で「サイバーテクノ」はどのように描写されているか

ただし、実在するジャンルとして近いものがないわけではありません(後述します)。それに、ジャンルとしての「サイバーテクノ」が認知されていないだけで、実はテクノやその周辺の音楽において「サイバーな」「サイバー系」という形容は、敢えてカテゴライズする必要もないくらいごく一般的なものだったりします。

その具体例を考察する前に、せっかくなのでもう少し、ニンジャスレイヤー本編で「サイバーテクノ」がどのように表現されているかを振り返ってみようと思います。

トコロザワ・ピラーのリー先生のラボでかかっている音楽もサイバーテクノでしたね。この「ズンズンズンズズポーウ!」はこの種の音楽を文字で表現するときに頻出するフレーズなわけですが、ズンズンは低音域を表すとして、ポーウ!はなんなんだろう…。

特に初期では、「ゼンめいた神秘的アトモスフィア」とは対照的な、 とにかくやかましい音楽として表現されていることが多いようです。

アニメイシヨンでは再現されませんでしたが、ビホルダーがシガキ=サンの前に現れたときにかかっていたのもサイバーテクノでした。重要な話をするにあたり、耳障りな音楽として一撃でミュートされています。

グランド・オモシロイ船上でのネコネコカワイイの初お披露目のときに流れていたのもサイバーテクノ。ただ、これがネコネコカワイイの持ち歌だったのかは分からなくて、そのすぐあとに出てくるライブのシーンでは、「BPM133のカワイイテクノ」と表現されています。ちなみにBPM(beat per minute=1分間あたりの拍数)133というのは4つ打ちテクノとしてはごく一般的な早さで、ハードテクノとしては少し遅いかなというくらいです。

ちょっと変わっていて好きなのが、「トビゲリ・ヴァーサス・アムニジア」でのこのシーン。牢に囚われた神話級ニンジャの世話のマルナゲされてしまったシャドウウィーヴが、ドギマギしながら楽器を差し入れたところ案の定突っ込まれてしまい、せめてもと用意したレディオから流れてきたのがサイバーテクノ。きっ、気まずい!この2人のやりとりはほんとに面白かったなあ。

しかし、ここまでの騒がしい音楽としての用法が一転したのがこのシーン。「心安らぐサイバーテクノの重低音」ですよ!すごくないですか、これ。ユンコの登場によって、サイバーテクノは明らかにネガティブなものからポジティブなものへと表現が変わりました。冒頭で引用した、最新エピソードでのユンコのハッキングシーンでもそうしたニュアンスで使われていますね。ある人にとって不快なものでも、別のある人にとっては心地よいものになりうる…そういった受容の多様性を端的に表現していると言えると思います。

どういう音楽が「サイバーテクノ」に近い?

さて、こればかりはボンド&モーゼズに直接質問してみるのが手っ取り早いわけですが、インタビュー企画などで彼らや翻訳チームから紹介される音楽はバンドものが多くて、テクノがあんまりないんですよね…。いずれ機会があれば、例えばブロゴ等でも、テクノ系に絞ったディスク紹介などがあるとうれしいのですが。
なので、ここでは私が連想するサイバーテクノについて少しだけ触れておこうと思います。

現実世界のテクノ界隈において「サイバー」という形容はどういうときに使うかというと、これはあくまで主観になってしまいますが、例えば派手めのシンセサウンドがウワモノやベースラインにフィーチャーされているような場合です。具体的にいうと、RolandのJP-8000というシンセサイザーで有名になったSUPER SAWという音色ですね。少しずつデチューンさせたノコギリ波をたくさん重ねて作る分厚いサウンドのことです。

別にSUPER SAWに限るわけではなく、少し遡って同じRolandのシンセα JUNOで定番になったフーバー(hoover)と呼ばれるようなサウンドなんかも…なんとなくこういう系のシンセが使われていると、俗にサイバーっぽいと表現されることが多いように思います。

私の世代からすると、サイバーという概念(というか世界観)は、90年代からのハードコアテクノやレイヴ文化と密接に関わっているイメージがあります。近未来的、ハイテク志向、蛍光感、そういったものですね。その意味では、上で紹介したようなシンセが使われているのがサイバーという説明はおそらく順序があべこべで、そういうパーティーでかかっている音楽に使われているのがこういうシンセ、なのです。
それと、「サイバーゴス」で画像検索して出てくるようなものは、いわゆるレイヴァーファッションと重なるのですが、そのへんの文化的な経緯はどうなんでしょう(ファッションのことはあまりよく分かりません)。

21世紀以降、日本のクラブミュージック界隈において「サイバー」のイメージが一般的に浸透したのは、エイベックスが2001年に企画した「サイバートランス(Cyber Trance)」シリーズの影響が大きいように思います。これは、少し前の98~99年ごろからオランダを中心に流行っていたトランス(ダッチトランスとも)を国内に輸入するときに、おそらくマーケティング的な戦略に基づいて考案されたジャンル名で、個人的にはあんまり好きな呼びかたではありません。もちろん日本国内でしか通じないので、これが何か直接的にボンド&モーゼズに影響を与えたかというと疑問が残ります。

ただ、ユンコのシーンでサイバーテクノが肯定的に表現されている時って、私のなかではこのサイバートランスに相当する往年のトランスアンセムのイメージがぴったりなんですよね。明るくも壮大な曲調で、激しく体温が上がってしまう感じ。Gouryellaのヒット曲"Ligaya"なんかは、PVのイメージもユンコに合うなあと思います。

この手のトランス(細かいことをいうと「トランス」自体はダッチトランス登場以前からあるもっと広い概念です)は今ではすっかり下火になってしまったので、BPM120~140くらいの4つ打ちという狭義のテクノに限らないのであれば、近年でサイバー系と形容されがちなのは、むしろドラムンベース界隈のほうが多いような気がします。

私が去年の7月に「ユンコをイメージしたDJミックス」として公開したのはこっちのほうのニュアンスで、前半にサイバー系のドラムンベースをいくつか入れています。このミックスの詳しい曲紹介は、いずれこのブログでもやってみたいと思っています。

『JUNK-O-MIX(ユンコミックス)』 | 鏡像フーガ:創作同人漫画サークル

というわけで、特に資料を参照しない主観に頼った簡単な考察になってしまいましたが、テクノにご興味のあるニンジャヘッズの何かのご参考になれば。いつかは、テクノやクラブミュージックに特化したバージョンの「ギターサンダーボルト」みたいな公式の忍殺クラブイベントもあるといいなあ…。

【感想】アンダーワールド・レフュージ

ロンゲスト後のフジキドサイドの面々の動向が描かれた、短いながらも今後の重要な布石となりそうなエピソードでした。彼らがどこに潜伏しているのかと思ったら、なるほど、ツキジ・ダンジョンだったのですね。

冒頭から、ナボリとモナコのカワイイなやりとりにほんわかしていたら、ユンコちゃんですよ。ゴウトやマッチ、リケ=サンなどのいい味出してるモータルのたくましい健在ぶりが描写され、そして昏睡状態のナンシー=サンとそれを見守る魔女ことホリイ=サン。ここで、ナンシーの状態から、このエピソードが「アルパインサンクチュアリ」後、「デイドリーム・ネイション」前の時系列の話であることが初めて明かされます。つまり複数の視点において、欠けていたパズルのピースを埋めるエピソードだったわけです。第2部クライマックスのいくつかのエピソードのように、これは初めてのニンジャヘッズがいきなりこの回だけ読んでもあまり良さは伝わらないかも。

前半パートでは、ニチョームの詳しい現況が不明であること、それに関連して「信じがたい噂」があるということも明かされました。ニチョームにはおそらく、ヤモトらニチョーム勢、シマナガシ、サヴァジョがいると予想されますが(シルバーキーはどうだろう)、噂ってなんでしょうね…気になる。

さて、地下のモータルらを守るニンジャとして誰が同行しているのかと思ったら、なんとジェノサイドだったのでした。ちょうど同日に連載された余湖・田畑先生版のコミカライズ「ゲイシャ・カラテ・シンカンセン・アンド・ヘル」と重なったこともあり、TLではジェノサイド人気が爆発。特に、「ウィアード~」で縁の深いホリイ=サンを守る形で登場したイケメン主人公ムーヴが熱かった。

なお、この時点ではニンジャスレイヤーが不在であること、そして傭兵2人、おそらくブラックヘイズとフェイタルもいたものの、「別作戦」で同じく不在であることにも触れられていました(別作戦ってなんだ)。

中盤で提示されるユンコとジェノサイドの対比は、これまで私はまったく想像したことがなくて、この手があったかと思いました。ヘンな表現だけど、さすがは原作者だなあ…と。確かに、外見的には人ならざるものに変わり果ててしまった己を、「俺は~」「私は~」と強い自我を拠り所に必死でつなぎとめるさまが、よく似ているんですよね。それを作中で傍観者の視点から見出すのがホリイ=サンというのも良かった。「とんかつとDJって同じなのか…!?」みたいな心境だったのかもしれません(違うと思う)。

そもそもツキジ・ダンジョンこそは、本作においては「マグロ」と「ゾンビー」の象徴なわけですよ。ユンコとジェノサイドの共通点を描くにあたって、これ以上おあつらえ向きの舞台はない…いやあ、よくできているなあ。

そして、ユンコの覚醒!彼女がナンシーとハッカー修行を積む中で、どの時点でセンセイに追いつくのか、あるいは追いつけずに諦めるのか…という点には以前から注目していましたが、ここでこんなとは。ユンコは、性格的にはナンシーに似ているとは言えないし、ハッカー適性があるようにも思えなかっただけに、正直、ナンシーと同じ方法ではあの境地にたどり着くことはできないと思っていました。例えば「フェアウェル~」のときのような、ひたすら駆け続けたうえでのハック&轢殺、みたいな、テックの肉体を駆使したカラテとハッキングのハイブリッドな奇策のようなものが、彼女らしい戦いかたなのではないかと。

しかし、ここで見せたのはあくまでも正攻法の、処理能力を限界まで駆使したハッキングだったのでした。なんだかんだで、ちゃんと修行と経験を積んでいたんだなあというのが。そしてまた、排熱のために軽装になるという演出がいかにも絵になるというか、変身バンクのテイストがありましたね。ハッキングするときの体勢がザゼンというのもクール。

そんな感じで、ジェノサイドとユンコの奮闘が並行して描かれつつ、そこに現れたのが久々登場のトリダくんことブルーブラッド。ここから、2013年8月連載の「ホワット・ア・ホリブル・ナイト・トゥ・ハヴ・ア・カラテ」以降不明だったINWの動向が明らかにされました。リー先生!フブキ=サン…もといフォーティーナイン!

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いやーフブリー素晴らしいです。彼らってよく考えてみたら、キャラが強烈なのであれですけども、シチュエーションだけ切り出すととっても古典的なラブストーリーなんですよね。自身の最高傑作にも関わらず、あくまでフォーティーナインではなくフブキくんと呼ぶリー先生、そのリー先生のために死よりも重い選択をしたフブキ=サン。彼女の一途さすごいですよ(リー先生のどこがそんなにいいのかというのはこの際置いといて)。

で、クラーケン能力を手に入れたことでさらに魅力がアップしてしまった感じですね。

それにしても、リー先生とナンシー=サンの取引は意外でした。はじめ、まんまとアマクダリのパペットマスター=サンの露骨なサンシタムーヴにミスリードされてしまったくらい。ボンド&モーゼズはこういうさりげなーい叙述トリックが上手いなと思います。

フジキドは、スガワラノ老人の件もあるしリー先生のことは決して許していないでしょう(そうであってほしい)。しかし、ニンジャじゃなく一介のモータルであるリー先生を前にして、言ってみれば代理の復讐行為に及ぶかというと、難しい判断なのかもしれません。
ましてや、ジェノサイドとの契約履行の件があるとはいえ、ツキジに根を張るフォーティーナインがその気になればいつでも避難者たちを殺せるという状況下にあって、今回の取引の件は、フジキドにとっても背に腹は代えられないということなのかなあ。手薄になることを承知のうえでこの場を離れている以上、渋々ながらも了承したのだと想像しています。

f:id:epxstudio:20160228014329p:plain「ツキジ・ダンジョンへようこそ」…フブキ=サンは初めて描いたけど楽しかったです。 

Twitterでは、「いろんなカップルがいちゃしている回」と雑にまとめてしまいましたが、なんというかまあ、エピソードの導入がナボリとモナコのシーケンスから始まったのもここまで来ると納得。ニンジャスレイヤーの戦いを支える、様々なキャラクターたちの魅力が散りばめられた短編であり、なおかつ今後もユンコ関連の二次創作に取り組む予定の自分にとっては、重要なエピソードとなったのでした。もちろん、ジェノサイドやINWの魅力を再発見できたのも大きな収穫!

「アンダーワールド・レフュージ」 - ニンジャスレイヤー Wiki*

【二次創作感想】ショーゴー×ヤモトアンソロジー『章恋花』

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ニンジャスレイヤー二次創作、通称ウスイホンの感想なども少しずつ書いていこうと思います。まずは去年のC89発行、掲題のアンソロジー本『章恋花(ショウレンカ)』。本作は、ショーゴー(スーサイド)とヤモト・コキをテーマにした小説とマンガ作品による本文58ページのアンソロジー本です。サークル「Gフラクタル」の10区さんの企画によるもので、冬コミに続いてコミックシティ大阪での頒布を経て、現在は下記の公式サイトでの通信販売が始まっています。

ショゴヤモアンソロジー企画

本作では、ご縁あって私もマンガで2ページ参加させていただいています。何人かの方から、参加していたことが意外というふうに言っていただいたり。ショゴヤモ好きですよ!いずれ、少し長めの二次創作でじっくり掘り下げてみたいと思うくらいには。

彼らって、単に年頃の男女というだけではなくて、ある意味で血よりも濃い宿命で結ばれた複雑な関係にある点がおもしろいと思います。何といっても『ラスト・ガール・スタンディング』で語られる関係性ですよね。ショーゴーは、モータルとしてのヤモトの人生を終わらせてしまった存在でもあるし、そのことで負い目を感じている。一方でヤモトは彼女なりの事情で後戻りできない状況にあり、過去と決別して前に進むことができたのは、ショーゴーとの出会いがきっかけでもある。それが、2部、3部を通して成長していくなかで、それぞれにに守るべき人々ができて、『ニチョーム・ウォー……ビギニング』および『ニチョーム・ウォー』に至り、再び目的を共にして戦うようになる。

けれど、そのわりには彼らの会話シーンは本編ではあまりに少ない…というか、ニンジャスレイヤーにフォーカスした話を語るうえで、ボンモーは敢えて余白を持たせている節すらある。ならば補完したくなるのは二次創作の常というもので、その結果として生まれたのがこういう幸せな本です。誰もが読みたかったショゴヤモが詰まっているのです。

実際、贔屓目なしにすごく完成度の高いアンソロジー本だと思います。カップリング重点だからといって敬遠される方がいたら、ぜひ機会をみて中の作品を読んでみてほしい。つまりその、どの作品においても「踏み込まない・踏み込めない」2人の微妙な関係性が尊重されていて、いずれの作家さんも深く原作を読み込んでおられるのが分かるのです。まさにラブとリスペクトですよこれは。

以下、それぞれの収録作品について、短くメモ的にではありますが、感想を残しておこうと思います。

あげせんさん(マンガ)「ショゴヤモ初デート」

デートのワンシーンを切り取ったカワイイな作品!とにかく5ページと6ページの2人のリアクションがかわいすぎて、ここだけ何度も行ったり来たりしてしまいます。ショーゴーは無意識にこういう仕草をしてしまうのかも。基本的にこの2人、どっちも天然というか作為がなさそうなところがいいですよね。そしてまたちょっかい出すでもなく、遠巻きに見守るメンター2人の気持ちがよく分かります。

秋月翼さん(マンガ)「となりのアフロ」

アフロヘアーはショーゴーのアイデンティティを形成する要素のひとつですが、そこを気に入ってもらえたら嬉しいだろうなあ。ショーゴーがいなくなって不安になるところ、再び出会って安心するところのヤモトの表情の変化がカワイイです。サツバツの日々を送るなか、ヤモッチャンはアフロのフワフワのなかに、ついに安らぎを見出したんでしょうね。

カニクレーンさん(小説)「フー・チェイスド・チェイシング・フー・アンド」

ショーゴーの魅力を語るのにこういう視点もあったかと気づかされました。というかショゴヤモが出会うシーンを描かずにショゴヤモを描くというワザマエ!本編さながらのサツバツとしたアトモスフィアのなかで、不器用ながらも彼なりの奥ゆかしい優しさが表現されています。ネオサイタマで生きるモータルらしい、ウメ=サンのタフさが救い。銭湯を舞台にしたエピソードは原作にもまだないので(ロブスターを除けば)、とっても新鮮でした。

10区さん(小説)「恋せよ青少年」

ショーゴー、あの写真!あれ持ってたんだーというのがまず嬉しくてテンション上がります。ラスガのときにソニックブームに見せられた、ヤモトの手配写真。しかもとても大事にしていたという描写や、それをヤモッチャンに見透かされたときの反応がいかにも彼らしくて。自分のなかで認めようとしなかった感情を認めたときの心の変化が、繊細なタッチで綴られています。

米沢ぴうさん(マンガ)「しあわせの味」

絵馴染でのひととき、そしてヤモッチャンの手料理。シマナガシの面々は自炊しなさそうだし、ヤモトはザクロ=サンの下で料理のレパートリー増えてそうだから、この展開は必然ですね!おそらく彼女にはセリフ以上の他意はないのかもしれないけど、ショーゴーは内心かなりドキドキしていそうなところがいいですね。

したいさん(小説)「ニチョーム・ウォー……インターミッション

ビギニングとウォーの2つのエピソードのあいだ、束の間の休息をとる2人の様子を原作のテンションに忠実に描いた力作です。ソウル・アブソープションにより夢の中で交錯する記憶が分かちがたい運命の表れであるなら、それを受け入れて前に進もう、という区切りのイベントが描かれます。きっと、こういうやりとりがあったんだろうなあ。途中、行きがかり上ついかたくなに強がってしまうヤモッチャンがすごくいいです。

狩谷茜さん(マンガ)「プレゼント」

ショゴヤモマンガといえば、過去の同人誌を踏まえても狩谷さんの作品は外せません。お店の人相手だとか人前では平静を装い頼もしくリードするショーゴーが、2人きりになると、途端に天然小悪魔なヤモトに翻弄されまくる!どこまで計算なのか分からないカワイイにそわそわします。でもヤモッチャンも、ショーゴーの何気ない一言にドキドキさせられているし、ホントいいバランスなんですよね。

麻花さん(マンガ)「アクション・スピーク・ラウダー・ザン・ワーズ」

いつになく積極的なヤモト!冒頭のソファーの端に追い詰められたショーゴーが、彼の心理状態を表しているようで。けどいつかは心を決めなきゃいけないんだろうなあ。そのときにショーゴーは何を言うのか、それともここでのようにやっぱりうまく言い表せなくて行動で示すのか、結局はヤモッチャンにとってもどちらでも構わないのかも。

貴縞さん(小説)「飛行夢(そらとぶゆめ)」

とある夜、帰り道を共にする2人の様子を描いたエピソード。ショーゴーにとって、たとえ短くて他愛のない会話であったとしても、ヤモトとの時間は、ひととき悪夢を忘れさせる唯一の癒しの手段なのでした。彼をそれとなく導くフィルギアも、ショーゴーが癒しを得ることよってシマナガシが丸く収まることを見越しているのかな。

R-9(マンガ)「アサリ=サンのニチョーム怪談?」

アサリ=サンには悪いことをしました…。彼女は彼女で幸せになってほしいです。でもなんかこう、ショゴヤモデートを第三者が見届ける的なネタが他にもあって安心しました。彼らのことは暖かく見守りたいんですよおー、ほんと。

ぴんこさん(マンガ)「瓦屋根の上でショゴヤモちゃん」

まるで子供のように無邪気なヤモッチャン、と思いきや…!でも原作のビギニングでの瓦屋根のシーンでも妙に積極的だったし、ショーゴーに変に気を使わせないように考えたうえでの、彼女なりに割り切った優しい行動なのかもしれませんね、こういうの。それにしても、ころころ変わるショーゴーのカワイイな表情にぴんこさんのカラテを感じます。

岬さん(小説)「風の向こうの桜の梢」

淡々と、理知的で抑制の効いた文体で語られるショーゴーの苦悩と決意。ソニックブームから生きる術としてヤクザのミーミーを受け継ぐと同時に、罪深いニンジャネームを与えられたことによる苦悩は、ヤモトとの関係性によってしか和らげることができないのですね。重い宿命を自覚しつつも、新しい決意の言葉により自らかすかな希望を見出すラストは、アンソロジーの最後に相応しい爽やかな読後感を与えてくれました。

【感想】ショック・トゥ・ザ・システム(再読)

このブログに書いていく感想文について、リアルタイム連載分だけだとどうしても更新ペースが間延びしてしまうので、今度から個人的に読み直したエピソードについても、気が付いたこととか考えたことについてメモしておこうと思います。

この前、連載中の最新話(『デイドリーム・ネイション』)のなかで、ネコネコカワイイの描写が出てきたときに、そういえばネコチャンはどうなったんだったかなと思って、掲題の『ショック・トゥ・ザ・システム』を読み直すことにしました。連作『ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ』のなかの一編ですね。

洋上戦、特にフジキドとマスターマインドの激闘は鮮明に覚えていたんですが、システムショックのあたりの細かいディテールを忘れてしまっていて。何しろ連載が完結したのが2014年の12月31日と、1年以上経っているわけです。私はこのときすでにリアルタイム更新を追っていたので、なんとなく、年末のドタバタのなかでワーッと終わったなという感じのイメージが残っていました。

フジキド&ナンシーの連戦のクライマックス

このエピソード、おおよそ10月10日の昼前から午後にかけての出来事なのは明らかであったにせよ、連載時点ではロンゲストの全編のどのあたりに位置していて、結末にどう絡んでくるかを知らなかったので、こうして完結したあとに読み直してみると色々と発見があります。

まず、フジキドの戦いは本来がここが最終戦だったのだということ。フェアウェル&ニチョームはもはやフジキド(とナンシー)だけの戦いではないので、キュア様の一件はおまけですよね。でなんか、それに相応しい壮絶な戦いだったと思うんです、マスターマインド戦。

確かに、過去に苦戦したラスボス級のニンジャに比べるとカラテ強者ではなかったし、そもそもマスターマインド本人に関する描写が今までのエピソードにほとんどなかったので、比較的印象は薄いほうなのかもしれません。それにしても、ここに至るシチュエーションがハードだった。ナンシー艦が一方的にバカスカ攻撃を受けているという時間制限付きの状況下、連戦で満身創痍のフジキドの前に、更に次々と立ちはだかるニンジャ。そして、決着がつく直前のハーヴェスターの乱入。白髪&赤目のナラク化描写。ここは普段のナラクとの対話シーンなしに淡々と描かれたので、なおさら鬼気迫るものがありました。眼前で映像が動いているかのようなカラテ描写でした。

ゴウトが起こしたショック

ゴウトのキャラクターも良かったですね。一見、なにごとも無難にソツなくこなしているようで、何事も成しえない自分自身に全然納得していなくて、いつか世界を変えてやろうと思っている。彼が初めに計画していたのは、単に高官から機密情報を抜いて売ろうというコソ泥めいたケチな情報屋としての仕事にすぎなかったわけですが、「ニンジャスレイヤーの戦いを目撃すること」がトリガーとなって、ニューロンが連鎖爆発を起こす。

余談ながら、このゴウトの取った行動をメタ的に拡大解釈して、ニンジャスレイヤー読者にも重ねていいような気がするのです。ニンジャスレイヤー…に限らなくてもいいわけですが、なにか別の、誰かが本気で戦っている姿の一端を目撃することによって、自分のなかの衝動が湧き上がり、具体的なアクションを起こさせるきっかけになる。一般に、物語が持っている力ってそういうことかなと思います。

Wikiで知ったのですが、以前翻訳チームが紹介していたこの曲、Billy Idol "Shock To The System"。

www.youtube.com

囲んで警棒で叩かれるようなはみ出し者が、テックの力を肉体に取り込んでこれを撃退し、抑圧された人々を解放してケオスを生み出すって、まさしくサイバーパンクだ。というかこの曲が収録されているアルバムが"Cyberpunk"だそうで。この曲やバンドの文脈をまったく知らないのですが、ボンモーがこのエピソードに投影しているメッセージと重なる部分は大きそうですね。

ナンシー=サンの戦い

読み返してみて、ナンシー=サンもこの回けっこうヤバかったんだなと。そもそもキョウリョク・カンケイに生身で乗り込むということ自体が無謀のうえに無謀な作戦だったし(タダオ大僧正のとこに乗り込んだのも正気を疑うほどの無茶だったけど)、フジキドがマスターマインドを仕留めるのが間に合わず、時間をオーバーしてアルゴスに見咎められて…のあたりは完全に失敗だったし、全ての計画が台無しになっていてもおかしくなかった。

それにしても、エシオとネコチャンの登場は意外でした。アマクダリが目指していること、対してピグマリオン・コシモト兄弟カンパニーがやろうとしていることが、ここでほとんど初めて、具体的に明かされるという重要なパートでした。
コルセア登場シーンからこのあたりまでの、まるでファンタジー映画のようなミステリアスな描写は印象的でした。マッドマックスの沼地のシーンみたいな。3人でアルゴスにアタックを仕掛ける直前の焦らすシーンもカッコ良かったね…。

それで

ゴウトじゃないけど、自分が目撃したヤバいことは語れるうちに積極的に語っていかないといけないなと。それがいずれ、連鎖的に別のショックを生み出すかもしれない。たとえそのことによる結果を予見できなかったとしても、可能性を信じて表現する…し続けること自体が大事だなと思いました。何事につけてもね。

フジキドがやろうとしていることも、要するにそういうことなのかもしれない。彼はアマクダリ…というかマスターマインドのように結末を予見して何か行動しているわけではないし、そのことから逆算して自己の可能性を矮小化するようなこともしていない。でもそれは、決して意味のないことではないんだ、というメッセージのように受け取れました。

結果として、ゴウトの起こしたショックがニチョーム戦の勝敗を決する一撃になった、ということを踏まえて読み返してみると、改めて別の感慨が沸き起こってくるエピソードです。一度『ネオサイタマ・プライド』まで通読したヘッズの方も、ぜひ読み返してみてください。

「ショック・トゥ・ザ・システム」 - ニンジャスレイヤー Wiki*