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【感想】ショック・トゥ・ザ・システム(再読)

このブログに書いていく感想文について、リアルタイム連載分だけだとどうしても更新ペースが間延びしてしまうので、今度から個人的に読み直したエピソードについても、気が付いたこととか考えたことについてメモしておこうと思います。

この前、連載中の最新話(『デイドリーム・ネイション』)のなかで、ネコネコカワイイの描写が出てきたときに、そういえばネコチャンはどうなったんだったかなと思って、掲題の『ショック・トゥ・ザ・システム』を読み直すことにしました。連作『ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ』のなかの一編ですね。

洋上戦、特にフジキドとマスターマインドの激闘は鮮明に覚えていたんですが、システムショックのあたりの細かいディテールを忘れてしまっていて。何しろ連載が完結したのが2014年の12月31日と、1年以上経っているわけです。私はこのときすでにリアルタイム更新を追っていたので、なんとなく、年末のドタバタのなかでワーッと終わったなという感じのイメージが残っていました。

フジキド&ナンシーの連戦のクライマックス

このエピソード、おおよそ10月10日の昼前から午後にかけての出来事なのは明らかであったにせよ、連載時点ではロンゲストの全編のどのあたりに位置していて、結末にどう絡んでくるかを知らなかったので、こうして完結したあとに読み直してみると色々と発見があります。

まず、フジキドの戦いは本来がここが最終戦だったのだということ。フェアウェル&ニチョームはもはやフジキド(とナンシー)だけの戦いではないので、キュア様の一件はおまけですよね。でなんか、それに相応しい壮絶な戦いだったと思うんです、マスターマインド戦。

確かに、過去に苦戦したラスボス級のニンジャに比べるとカラテ強者ではなかったし、そもそもマスターマインド本人に関する描写が今までのエピソードにほとんどなかったので、比較的印象は薄いほうなのかもしれません。それにしても、ここに至るシチュエーションがハードだった。ナンシー艦が一方的にバカスカ攻撃を受けているという時間制限付きの状況下、連戦で満身創痍のフジキドの前に、更に次々と立ちはだかるニンジャ。そして、決着がつく直前のハーヴェスターの乱入。白髪&赤目のナラク化描写。ここは普段のナラクとの対話シーンなしに淡々と描かれたので、なおさら鬼気迫るものがありました。眼前で映像が動いているかのようなカラテ描写でした。

ゴウトが起こしたショック

ゴウトのキャラクターも良かったですね。一見、なにごとも無難にソツなくこなしているようで、何事も成しえない自分自身に全然納得していなくて、いつか世界を変えてやろうと思っている。彼が初めに計画していたのは、単に高官から機密情報を抜いて売ろうというコソ泥めいたケチな情報屋としての仕事にすぎなかったわけですが、「ニンジャスレイヤーの戦いを目撃すること」がトリガーとなって、ニューロンが連鎖爆発を起こす。

余談ながら、このゴウトの取った行動をメタ的に拡大解釈して、ニンジャスレイヤー読者にも重ねていいような気がするのです。ニンジャスレイヤー…に限らなくてもいいわけですが、なにか別の、誰かが本気で戦っている姿の一端を目撃することによって、自分のなかの衝動が湧き上がり、具体的なアクションを起こさせるきっかけになる。一般に、物語が持っている力ってそういうことかなと思います。

Wikiで知ったのですが、以前翻訳チームが紹介していたこの曲、Billy Idol "Shock To The System"。

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囲んで警棒で叩かれるようなはみ出し者が、テックの力を肉体に取り込んでこれを撃退し、抑圧された人々を解放してケオスを生み出すって、まさしくサイバーパンクだ。というかこの曲が収録されているアルバムが"Cyberpunk"だそうで。この曲やバンドの文脈をまったく知らないのですが、ボンモーがこのエピソードに投影しているメッセージと重なる部分は大きそうですね。

ナンシー=サンの戦い

読み返してみて、ナンシー=サンもこの回けっこうヤバかったんだなと。そもそもキョウリョク・カンケイに生身で乗り込むということ自体が無謀のうえに無謀な作戦だったし(タダオ大僧正のとこに乗り込んだのも正気を疑うほどの無茶だったけど)、フジキドがマスターマインドを仕留めるのが間に合わず、時間をオーバーしてアルゴスに見咎められて…のあたりは完全に失敗だったし、全ての計画が台無しになっていてもおかしくなかった。

それにしても、エシオとネコチャンの登場は意外でした。アマクダリが目指していること、対してピグマリオン・コシモト兄弟カンパニーがやろうとしていることが、ここでほとんど初めて、具体的に明かされるという重要なパートでした。
コルセア登場シーンからこのあたりまでの、まるでファンタジー映画のようなミステリアスな描写は印象的でした。マッドマックスの沼地のシーンみたいな。3人でアルゴスにアタックを仕掛ける直前の焦らすシーンもカッコ良かったね…。

それで

ゴウトじゃないけど、自分が目撃したヤバいことは語れるうちに積極的に語っていかないといけないなと。それがいずれ、連鎖的に別のショックを生み出すかもしれない。たとえそのことによる結果を予見できなかったとしても、可能性を信じて表現する…し続けること自体が大事だなと思いました。何事につけてもね。

フジキドがやろうとしていることも、要するにそういうことなのかもしれない。彼はアマクダリ…というかマスターマインドのように結末を予見して何か行動しているわけではないし、そのことから逆算して自己の可能性を矮小化するようなこともしていない。でもそれは、決して意味のないことではないんだ、というメッセージのように受け取れました。

結果として、ゴウトの起こしたショックがニチョーム戦の勝敗を決する一撃になった、ということを踏まえて読み返してみると、改めて別の感慨が沸き起こってくるエピソードです。一度『ネオサイタマ・プライド』まで通読したヘッズの方も、ぜひ読み返してみてください。

「ショック・トゥ・ザ・システム」 - ニンジャスレイヤー Wiki*